春が近づいてきています。
私の住む街のさくらはピンクに色付いてきました。咲き終わると一気に温かくなり庭の草木が生き生きとし、新緑の季節が来たのがうれしい反面、雑草との闘いが始まる時期でもあります。少し前までは。
近所の目を気にして草むしりに励む休日
雨が降ったあとなんか、草むしりができずにいると庭はあっという間に草だらけ。
まわりのお家は綺麗に手入れされいるのに、うちは….。
恥ずかしくて、近所の人と立ち話するときなんか「草むしりが追いつかなくて」なんて聞かれてもいないのに弁明してました。
草ボーボーのお家をみると「あー、うちと同じだ」とホッとします(笑)
自然農の世界
しかし、自然農という農業の世界を知り今までの自分の固定概念を覆させられます。
自然農の世界では”雑草”という概念はありません。
自然界では草にも役割があって、全てのものが作用し合い自然を成しているのです。
しかし現在の人々や慣行農業では自分たちの必要なもの以外”雑草”になるのです。
雑草でも、芝生でも、緑の草であることに変わらないのに、雑草は悪、芝生は善
おかしいですよね。
誰がそんなこと決めたの?いつから?
それから庭に生えた草は根っこを抜くのではなく地上部だけ刈り取り、緑のじゅうたんになるようにしてみました。
そうするとクローバーやタンポポ、名前の知らない草が広がって、田んぼのあぜ道のようにとても綺麗。かえる・てんとうむし・みつばち・かまきり・ばった、色々な昆虫たちもたくさん。太陽の日差しを浴びながら眺めているだけで何とも言えぬ穏やかな気持ちに。
こんなに素晴らしい景色が身近にあったことに感動しました。
そして、私は自分のために草むしりをしていたのではなく、近所の人たちから「私はきちんとした人です」「あの家の人たちはちゃんとした人」と思ってもらいたくて草むしりをしていたという事に気づきます。
ダメな自分を受け入れる
自分がどんな風に見られたいかに重きをおいてしまうと、自分の心は疲れ切って行くだけな気がします。
常に周りと自分を比較してみたり、羨んでみたり、必死に合わせてみたり。
私の場合、きちんとした人でもないのに、そう見られたい欲求がすごかったんですね。
コンプレックスの塊の人ほど他人の目を気にしてしまうのかも。自分がそうだから。
今はダメな自分を受け入れるのを頑張っています。
手始めに「肌断食」も兼ねて化粧をやめてみました。ブサイクな素顔をさらして街中をあるいています(笑)
「肌断食」についてはまた別の記事で!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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